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最高裁判所第一小法廷 昭和43年(あ)799号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人上原隼三の上告趣意第一点は、量刑不当、事実誤認の主張であり、同第二点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第三点は、判例違反を主張するが、所論大審院判例は、民法の解釈に関するものであつて、本件に適切ではないから、所論は前提を欠き、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(なお、被告人の控訴の取下について、かりに所論のような錯誤があつたとしても、その錯誤が被告人の責に帰することのできない事由に基づくものとは認められないから、控訴の取下を無効とすることはできない。)。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(長部謹吾 入江俊郎 松田二郎 岩田誠 大隅健一郎)

弁護人上原隼三の上告趣意

第三点 原判決が被告人の控訴取下の取消申立主張を排斥されたことは大審院判例と相反する判断にして刑訴法第四〇五条三号に該当する違法あり破棄を免れない。詳細は左の通り。

(一)  被告人が昭和四二年九月四日付原審提出の控訴取下の取消申立に対し原審は「被告人の控訴申立の取下げは相手方(検察官)の控訴申立の有無とは関係なく、控訴申立の後自己の意思に基き右申立を取下げた以上、たとえ相手方の控訴申立がないものと誤信して自己の控訴を取下げたとしても、右控訴取下げに錯誤はなく同取下げは有効である」と認定されたが、

(二) 上訴権の放棄若くは控訴申立の取下につき被告人に錯誤があつた場合は上訴権は消滅せず、若くは控訴取下げを取消し得る点は最高裁判所大法廷の判示される通りであり(昭和二三年(つ)第四号同年一一月一五日判決―最高裁判例集第二巻第12号1528頁以下)原審も控訴申立の取下げに錯誤があればこれを取消し得る旨説示された。

(三) しかし、原審は単に自己の意思に基き控訴申立を取下げた以上検察官の控訴がないものと誤信しても控訴申立の取下に錯誤はないと判断されたのは大審院判例と相反し失当である。

(四) およそ「錯誤」は刑事々件についても民法の意意表示と同様要素に錯誤ある場合に限らず、縁由に錯誤ある場合でも要素に錯誤ある場合と同様意思表示は無効となることがある。

大審院大正二年(オ)第六八三号同三年一二月一五日民事一部判決(民事抄録52号12072頁以下)の要旨は左の通りである。

意思表示ノ内容中錯誤アル部分ニ関スル表意者ノ利益ヲ考量シ当該ノ場合ニ付キ合理的判断ヲ下スモ両錯誤ナカリセハ意思表示ヲ為ササルヘカリシモノト認メラルルトキハ民法第九十五条ニ所謂法律行為ノ要素ニ錯誤アルモノトス。

(五) 被告人は倉敷市に滞在しビルの鉄筋工事に従事し不在中検察官控訴申立の通知書を留守宅の妻が送達を受けながら、過失により被告人本人に連絡若くは来宅後その旨申出しなかつたので、被告人は控訴申立の取下げにより第一審の執行猶予判決は確定し、実刑を課せられる虞れはないものと合理的に判断し確信して前記の如く控訴申立を取下げた場合で、全く前記大審院判決の如く要素の錯誤に帰着する。

よつて原判決は叙上の如く大審院判例と相反する違法の判断である。

〈参考 原判決の関係部分〉

原判決は、量刑不当を理由とする検察官の控訴を認容し、一審判決(禁錮六月、執行猶予三年)を破棄し、被告人を禁錮四月に処したが、被告人の控訴取下無効の主張に対し、次のとおり判示している。

「なお、本件については昭和四二年四月二一日検察官から本件控訴の申立があり、同月二九日原裁判所は肩書住居地の被告人宛に右控訴申立通知書を適法に送達しているのであるが、一方、被告人において同月二三日原裁判所に控訴申立書を提出して控訴の申立をし、同年六月四日当裁判所に控訴申立取下書を提出して右控訴申立を取下げているものであるところ、被告人および弁護人は、被告人が同年四月二九日当時他県に出張中であつたため、被告人は原裁判所からの前記検察官控訴申立通知書を受領しておらず(被告人の妻が受領したままこれを放置していた)、検察官の控訴申立がなかつたものと誤信して自己の右控訴申立を取り下げたものであるから、右控訴取下は自己の責に帰することができない錯誤による無効のものであると主張している。しかしながら、控訴は原判決に対する不服申立であつて、相手方の控訴申立の有無とは関係のないものであるから、自己において控訴を申立てたのち、自己の意思に基づき右控訴申立を取り下げた以上、たとえ、相手方の控訴申立がないものと誤信して自己の控訴申立を取り下げたとしても、右控訴取下に錯誤はなく、同取下は有効なものというべきである。しかるところ本件記録に徴すれば、被告人は同年四月二三日原裁判所に前記控訴申立書を提出するとともに、同日新たに弁護士上原隼三を弁護人に選任した旨の届書を提出し、その後、控訴申立取下書に所要事項を記載したうえ署名捺印をし、右書面を同弁護人を通じて同年六月四日当裁判所に提出し、自己の意思に基づき控訴申立を取り下げたものであることが明らかであるから、右控訴申立は有効というべく、被告人および弁護人の前記主張は理由がない。」

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